| 3冊目:ドゥルーズの哲学−生命・自然・未来のために−/小泉義之 | ||||
| 2006.05.26.Fri / 19:35 | ||||
終始筆者は批判的態度によって書いている。 時折その態度に嫌気がさした。しかしそれに反してとても読みやすく、ドゥルーズの哲学を知らない人でも読める内容になっている。 ただ、普遍数学の部分だけは別。 ドゥルーズといえば差異の哲学を構築したことで有名だけども、その中核をなす普遍数学の理論がかなり数学チックに書かれているため、この章だけは他の本によって補う必要があると思われる。 ただ、その他の章はとても分かりやすく書かれている。 フーコーの人間の終焉ではナチズムを取り上げながら、現人間の終焉と次に来る人間に代わる新しい生物への期待を差異の哲学を応用しながら論じていて、現代のテーマにぴったりだ。 また、ニーチェの部分では能動的にニヒリズムをとらえなおすために差異の哲学を応用している。ただ、この部分で使われている”超人”とニーチェが論じている”超人”では、その定義が少々異なる気がしたので注意が必要である。 = 超人とは ドイツの哲学者ニーチェが提唱した、新しい人類のあり方である。ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、受動的に他者と画一的な行動をする現代の一般大衆を『畜群』と罵った。その上で、人々は自らの確立した意思でもって行動する『超人』であるべきであると説いた。(Wikipedia) = と書かれてあるが、本書で用いられている超人は各々が能動的に克服する存在ではなく、もはや人間という規定を超えた新たな生物を超人と呼んでいる。 この背景には人間という生物では良き未来を築き上げることは不可能だという考えがある。もはや人間という生き物からはあたらな可能性は出てこない。 このことより、遺伝子レベルの研究を進めるなどして誕生した人間を超えた超人こそが、このニヒリズムを克服してくれるだろうと唯一希望を持てるものになるわけである。 その超人への希望こそがニヒリズムを克服するものであり、そのために何をしなければいけないのかを考えなければならない。 スピノザの部分はやや卓上的理論の印象。正しいことを言っているのだけれども、好意的に賛同はできない。人の感情を軽視しすぎている気がした。 本書はドゥルーズの哲学というよりも、ドゥルーズの哲学を応用し、現代の諸問題へ新たな問題提起をするための本である。他のレビューにもあるように、ドゥルーズの哲学自体を学び取りたい者に対しては、本書はそれに答えないものかもしれないが、ドゥルーズに関わらず、生命倫理や自然観をもう一度見直したい方には是非ともおすすめできる一冊。 ==== よければ、応援クリック!!よろしくおねがいします。 記事の評価もいただければ幸いです。 ![]() ![]()
第24回政策・情報学生交流会開催!
|
||||
| 書評 * CM(111) * TB(0) * PAGE TOP△ | ||||



優等生の主張
良書
ドゥルーズの事を書いた本ではない


